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【忠烈たる志】鳥居元忠【信長の野望 出陣】

徳川家

基本情報

能力

戦法

特性

列伝

徳川家臣関ケ原合戦の際に主君・家康の名で伏見城に籠城する。13日間の攻防戦の末、城兵と共に玉砕した。その忠節は「三河武士の鑑」と称賛された。

解説

共闘イベント第10期【決戦 鳥居元忠】の報酬武将として登場しました。
もともとSR武将としてサービス初期から登場していたため、2人目の元忠となります。
現在では民忠の結晶で交換可能です。

旅人の駆け出し
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1周年イベントでの開催が予想される関ケ原。
1周年の直前で開催された『決戦 鳥居元忠』は伏見城の戦いの再現と言えます。

総合能力値は227とSSR武将の中ではかなり低いです。
徳川家ではワースト2です。

最高値でも知略の72のため編成ボーナスも発動させづらいです。

徳川家の武将は攻撃上昇戦法に定評があります。
【東国無双】本多忠勝や、瀬名姫井伊直政も攻撃上昇戦法を所持しています。

古参である鳥居元忠も攻撃上昇の戦法を獲得しました。
加えて武勇攻撃の効果を持つ攻撃系戦法です。

旅人の駆け出し
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徳川家武将の一人一人の戦法効果はそこまで際立ったものではありませんが、ここまで同系統の戦法が固まると配下戦法の連係がつながった時の効果は大きいです。

初出の特性として【軒昂被ダメージ軽減・徳川家部隊】と【逆境攻撃上昇・徳川家部隊】を持ちます。
自部隊の兵数と大将の勢力に制約がありますがその分効果量は大きいです。

伏見城の戦いで頑強に抵抗した史実に基づいた特性と言えます。

徳川家武将では希少な【兵法上昇・足軽】を持ちます。
知略攻撃からのダメージ軽減や弱体戦法で付与させる効果時間の短縮が狙えます。

【与ダメージ増加・与力】はSSR武将としては初めて元忠が所持しました。
どんな部隊でも有用な非常に汎用性の高い特性です。

前述したように、元忠の総合能力値は徳川家でワースト2です。
しかし徳川家ワースト1の瀬名姫もそうですが、使い方次第では有用な武将です。

民忠の結晶で交換可能な武将の中で最多の勢力が徳川家です。
8/22自伝だと井伊直政、服部半蔵、柳生宗矩、瀬名姫の4人が民忠の結晶で交換可能です。

元忠を加えれば1部隊の5人全員を徳川家で揃えられます。
民忠の結晶は1週間の獲得数に制限があるため、集めるのに時間はかかりますが、運に頼らず確実に部隊を揃えられると言えます。

東海地方は武将数が最多の地方のため、仮に徳川家で揃えなくても地方一致の編成ボーナスが発動させやすいです。

元忠は編成に組み込みやすい武将と言えますので是非獲得して育てましょう。

その他の徳川家臣

旅人の駆け出し
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その他の徳川家の武将については下記の記事にまとめていますので参考にしてください。

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民忠の結晶で交換可能な武将

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【威風凛然】 立花誾千代 【信長の野望 出陣】
立花道雪の娘。家督を継ぎ立花城主となり、立花宗茂を夫に迎えた。父譲りの武勇を誇り、関ケ原合戦で宗茂が留守の間は自ら兵を率いて城を守ったと伝わる。
【井伊の赤鬼】 井伊直政 【信長の野望 出陣】
徳川家臣。徳川四天王の1人。軍装を赤で統一した軍兵は「赤鬼」と恐れられ、常に先鋒を争った。関ケ原の合戦では島津軍を追撃し、島津豊久を討ち取った。
【一木離支】 瀬名姫 【信長の野望 出陣】
今川義元の養女。築山殿。徳川家康に嫁ぐ。桶狭間合戦後、夫が織田信長と同盟を結んだため、不和となる。武田家への内通の疑いを受けて夫に殺された。
【高遠の赤き桜】 仁科盛信 【信長の野望 出陣】
武田信玄の五男。信濃の豪族・仁科家の名跡を継ぐ。兄・勝頼の命により信濃高遠城を守る。織田信長軍に対し、頑強に抵抗したが衆寡敵せず敗北、自害した。
【忠烈たる志】鳥居元忠【信長の野望 出陣】
徳川家臣。関ケ原合戦の際に主君・家康の名で伏見城に籠城する。13日間の攻防戦の末、城兵と共に玉砕した。その忠節は「三河武士の鑑」と称賛された。
【朝倉の軍配】 朝倉義景 【信長の野望 出陣】
朝倉家5代当主。考景の嫡男。将軍・足利義昭と結び織田信長包囲網の一角を担うが、次第に勢威を失う。刀禰坂合戦で敗北を喫し、一族に背かれて自害した。
【島津の英主】 島津貴久 【信長の野望 出陣】
島津家15代当主。忠良の嫡男。父の補佐を受けて所領を広げ、薩摩統一を果たす。新兵器・鉄砲の導入や積極的な外交政策などで島津家飛躍の土台を築いた。
【鬼半蔵】 服部半蔵 【信長の野望 出陣】
徳川家臣。半三保長の子。父の跡を継ぎ隠密頭を務める。主君・家康の伊賀越えの際には、警護を担当し、無事に帰国させた。「鬼の半蔵」の異名をとった。
【上杉三十五腰】 上杉景勝 【信長の野望 出陣】
出羽米沢藩主。長尾政景の子。上杉謙信の養子となった。謙信の死後、御館の乱に勝利して家督を継いだ。関ヶ原合戦では西軍に属し、最上・伊達軍と戦った。
【鬼義重】 佐竹義重 【信長の野望 出陣】
佐竹家18代当主。義昭の嫡男。父の遺志を継ぎ、常陸の統一に成功する。北条家と伊達家を敵に回し、陣頭で自ら采配を振るう姿は「鬼義重」と恐れられた。

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